基本構想特別委員会 9月29日 後半の質問 針谷みきお議員 |
○針谷委員 私は、基本構想で言う、どんな足立区をつくるのか、特に第2章で言っている基本理念、第3章の足立区の将来像を中心に質問してみたいと思っている。まず、どんな将来像を目指すのかと言っても、今、区民の暮らし、区民生活はどうなっているのか、足立区の現状はどうなっているのか、この現状分析がしっかりしていないと、目指すべき将来像が見えてこないと思う。構想の序章では、区民生活に根ざした基本構想としてまとめたというふうに言っているわけだから、当然、区民生活の実態を踏まえているだろうというふうに思う。私は、区の現状というのは、福祉への切実な要望があり、さらに雇用不安がある。所得の格差の拡大が進み、地域経済の衰退など、生活と営業の困難や子どもの教育、区民の安全の問題など、解決すべき課題が山積しているというふうに認識しているが、区はそういう認識をお持ちか。 ○政策課長 構想の現状のところでも分析しているとおりで、区経済、産業、雇用といったところについては停滞しており、生活における安心・安全上の課題もあるということで、ほぼ同様の認識である。 ○針谷委員 さらにお聞きするが、所得格差の問題は、私は深刻だと思っている。例えば介護保険の所得段階別第1号被保険者の推移だが、介護保険が始まった12年9月段階だと、第1段階の方は4,955人で5.1%だった。しかし、平成16年3月では6,824人、5.9%に増えている。第2段階については、平成12年9月には3万4,671人、32.9%だったのが、16年3月には4万3,476人、37.6%、5%程度増えている。つまり、高齢者の間で低所得者と言うか、所得の低い方が増えているということの表れだろうというふうに思う。そこで区民税の方はどうかということでお聞きするが、区民の半数は区民税の非課税、お子さんもいるからあれだが、半数は税金、区民税を納めていないという現状がある。そこでお伺いしたいのは、子育て世代の実情だが、就学援助の問題だが、平成14年度は1万4,695人、31.5%が受けていたが、16年度は40.6%になっているということで、これは子育て世代の所得が減っているという表れだと思うが、どうか。 ○福祉部長 細かい分析はしていないが、その数字を見る限りではそのようなことが指摘できると思う。 ○針谷委員 これはまさに子育て世代も高齢者も区民全体も所得は大変厳しい状況にある。そこで基本構想の第1章で、今後、担税力のある区民の流入を図るための諸施策の推進が必要だというふうに述べているが、担税力のない区民はどうしたらいいのかということになるが、どうか。 ○政策課長 担税力のある区民の流入を図ることも必要かと思うが、合わせて、特に3つの基本的方向の冒頭に、創業、改業による地域経済の活性化を目指すというふうに書いているが、現に足立区にお住いの皆様方の人間力も含めてパワーアップをしていただき、創業、改業、そういった経済面での力も蓄えてつけていただく、そのための支援を区としても進めていくべきであるといった記述がなされているわけで、必ずしも豊かな方を外部から引っ張ってくることだけを描いているというわけではない。 ○針谷委員 私は基本構想の別の角度として、自立を助長するという政策であっても、現下の日本の情勢から言って、それだけで自立できるわけではないということである。ここで所得の再配分機能とか、所得保障政策とか、基本構想でそういうセーフティネットの機能を言っていると思う。その意味では、私はこのところはいいと思っているが、ただ、問題は、具体的に所得保障政策というのは、極力弱めていく方向というのが、いわゆる構造改革戦略でうたわれている。福祉部長などが本会議でさんざん答弁しているが、現金給付型の施策は今後、減らしていきたいということを述べているが、この基本構想の考え方でもそうか。 ○福祉部長 平成12年度の介護保険の始まりから、どちらかと言うと、現金給付でなく、現物給付の方に流れが変わっていると解釈しており、福祉についても、基本的にはその流れでいくのかと思っている。 ○針谷委員 そういうふうに言っても、現実の問題として、所得を保障しなければならない実態がある。そういう区民の現状を踏まえたときに、私はこの考え方はいかがなものか。やはり今こそ所得保障政策と言うか、現金給付型の事業もやっていかなければならないだろうというふうに思っている。そういう中で鈴木区政になって、所得保障政策のような施策がどんどん削られる。例えば子育て支援策は必要なのだけれども、鈴木区長が誕生して直ちにやったことは保育料の36%値上げだったし、学童保育料の値上げもやられたし、社会教育団体の施設使用料も有料化されるし、生きがい奨励金も削減されるし、敬老祝い金の事業も縮小される、区民健診は制限を行い、区政始まって以来予算と健診率を減らすということもやられたし、生活保護に直結してしまうような高齢者の福祉手当の削減、こういうこともやられた。こういう点で言うと、現下の区民の生活を踏まえたときに、こういう施策のいわば切り捨て、削減というものが、今の足立区のいわば危機と言うか、憂うような現状をつくり出してしまったのではないかというふうに私は思うが、いかがか。 ○政策課長 審議会の議論の中でも、今、針谷委員のおっしゃっているような、現金給付型とか所得保障型の施策、これはいろいろな形で今までもやられてきたわけだが、こういったいわば対処療法と言うか、そういったことだけでは、例えば生保はどんどん増えていく。その背後にある構造的な課題にまで改革を及ぼさないことには、足立区の課題は根本的には解決しないだろう、こういった議論がずっとなされてきている。今回はそういったことを踏まえて、自立チャレンジ型の支援施策とか、構造課題の解決に及ぶような施策をやっているということで、一方ではセーフティネットは必要であるということもきちんと述べているし、優しい仕組みと言うか、ものをつくっていくべきだ、優しい足立の実現を目指すことが必要だ、こういったことも基本構想の本文には述べられている。そういった意味では、現にお困りの方への救いの手を全く否定するという態度にはもちろんないわけで、むしろ構造改革的な課題の方の解決に今は重点を置くべきだろうということを今回の構想は目指しているということである。 区民を5つに分けて差別・選別する鈴木区政 ○針谷委員 所得保障政策をもっとやらないと、生活保護が逆に増えてしまうと指摘した。その点についてはいいが、私は今後、この基本構想が担税力のある区民を増やすために頑張るというならいい。担税力のある区民の増加を図るために、足立区民の所得や生活状況に対応した社会政策を進めるとともに、区内産業の活性化とか、雇用の促進に努めることが必要になっているのではないかということを主張しているわけで、この点についての基本構想の条文は、そういう点で是正する必要があると思っている。次に、基本構想で協働で築く力強い足立区、これもかなり疑問のあるスローガンだが、協働する区民とは一体誰なのか、これを明らかにする必要があると思う。先ほどから質疑がされているので、違った角度でお聞きするが、政策経営部長が、構造改革戦略の論議、これは2002年にグリーンペーパーで打ち出した。そのときに区民を5つに分けていることを委員会で発言しているが、1つは株主としての区民、税金だけ取られて使っているサービスは区道を歩くぐらいの方。2つ目は顧客としての区民、税金を払っているが、サービスを受けている方、例えば保育園に預けて保育料を払い、サービスを受けている方は顧客の原理が成り立つというふうに言っている。3番目はパートナーとしての区民、税金を払っている方で、例えば民生委員のように、自分の体も時間もお金も使い、手弁当でボランティアをやっている方。4番目は指導すべき区民、現実に事故や病気でどうしても自分では食べていけない方、ケースワーカーが病気を治しなさいとか、アル中で問題を起こす、指導の対象になる方がいる。5番目には規制しなければならない区民がいる。道路の不法占拠など、やっていけないことをやる。こういうふうに区民を分けている。このような認識は今でも正しいというふうに思っているか。 ○政策経営部長 私は現在でも全く同じである。 ○針谷委員 大変いい答弁をいただいた。本当にひどい。主人公としている区民を忘れた論議だというふうに思う。差別、選別の発言だと言わざるを得ないと思う。主役である区民に対して、このように色分けをする。住民自治の主体ということを考えれば、私は許せない発言だろうと思う。それに加えて、先ほど古性委員が、納税者1%システムの問題を言ったので、政策経営部長の見解はお聞きしないが、1%システムの最大の問題は、納税者に1%の使い道を聞く。これは憲法の「法の下の平等」という大原則に反している。国民主権というのは、納税者と非納税者の間に差別は設けていない。予算配分は国民主権の最大の原則であって、納税者と非納税者を差別するのは憲法の原則に反するのではないかという指摘があり、そうしたら、非納税者に意見を聞けばいいのだろうというふうにおっしゃったけれども、私は、そのときの議論にもあったが、わずか1%の使い道だけを聞く。そしてそれをNPOに具体的に託すというようなことではなく、まさに2,000億円の足立区の予算をどうするのか、そういうことこそ聞くべきであって、まさにスタンドプレーの何ものでもないと言わざるを得ないと思う。構造改革戦略をベースにしている、顧客志向とか市場原理の活用などのニュー・パブリック・マネジメント、この新しい公共理論は、名前は新しいけれども、これまで古性区政以来続けてきた都市経営論であり、これは今度の基本構想を、ある意味では、そちらを見ると発展させ、固定化して、より強化していこうというふうにしているというふうに私には思えてならない。時間の関係上次の質問に入りたいと思う。教育の問題で、人間力と文化力を育み、活力あふれる文化都市、人づくりという、足立区の学校教育改革について伺いたいと思う。基本構想では、「足立区は開かれた学校づくり協議会の設置、二期制の導入など、先駆的な学校教育改革に取り組んできた。今後、その成果を踏まえつつ、改革の流れを一層加速、定着させるべく、学校・学級の規模の適正化を図るほか、6・3・3制の弾力的な運用など、学校教育改革を強力に推進していくことが必要です」というふうに言っている。私は学力の向上を教育改革の柱に据えているということについては、それなりにいいことだと思うが、都教委が今年2月に行った、いわゆる学力の調査を足立区では38校、4,200人余の生徒が受けたわけだが、平均点だけがひとり歩きしないように、公表については、中学校の序列化につながらないようにすべきである、教育長もそういう答弁をして、ところが、そういうことを答弁しながら、学校ごとの得点も公表してしまった。この23区の中で、学校ごとの点数を公表したのは足立区と荒川区だけということだが、なぜ学力テストの学校別の平均点を公表したのか、その理由と言うか、動機をお聞かせいただきたい。 ○教育長 これは文教委員会でもご答弁申し上げたが、学力の向上は総力戦である。学校だけで努力してもできない。地域や家庭の協力をしっかり得て、まさに協働して学力向上に当たっていく。それには当然今の学校の現実をしっかりと認識する、それが出発点になる、私はそういう認識を強く持っている。そういった意味でも、学校情報はこれからも積極的に公表していくという姿勢を貫いていきたいというふうに思っている。 足立区の教育改革が危機をよんでいる ○針谷委員 今、学校では、子どもたちに絶対評価なのだ、絶対評価だから、友達との競争とかというものではなく、わかったかどうか、できるようになったかどうかを評価するのだというふうに教えている。文科省も、絶対評価にしろと言っている。ところが今回の学校ごとの結果発表は、明らかに学校ごとの相対評価、平均点のより高い学校、低い学校を印をつけて発表した。学校ごとの競争を広げるものでしかないと私は思っている。こうした競争の原理を学校教育の中に広げることが本当にいいのだろうかというふうに思う。実はこのことについては、今年の1月に国連の子ども権利委員会の最終報告でも、日本の現状について指摘がされている。高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていると、子どもたちの現状を憂いて、そしてこれを是正するように勧告されている。私はこんなやり方はやるべきでないというふうに思う。そこで足立区の子どもたちの学力低下と言われる中身についてお伺いしたいと思う。これについて、本当は教育指導室長にご答弁を願わなければ難しいかなと思っていたが、今日はだめだということなのでお聞きするが、今回の都教委の調査、足立区が6月に行ったプレ調査、このところで共通した傾向が出ているのではないかと思っている。一つは生活習慣と学力との相関関係、もう一つは、いわゆる読み・書き・計算の技能などの基本的な知識とか理解、こういうものよりも、関心・意欲・態度とか思考力とか判断力とか表現力とか創造力、こういうところの学力が足立区の子どもたちの場合は低いというふうに傾向として表れているのではないかと思うが、区教委はどのように分析しているか。 ○教育改革推進担当部長 2点あり、1点は基礎、基本の部分が非常に弱いというふうに認識している。教科学力の方だと思うが、もう一つ、基本的に、学びの基礎力と呼んでいるが、基本的な生活習慣だとか、学ぶ意欲だとか、そういう部分が欠けている。そういった部分で今、分析している最中である。 ○針谷委員 私、ある学校の学校だよりで、学力調査についてこのような傾向があったという学校だよりをいただいた。そこでいろいろな指摘がされているが、意欲の問題では、問題を解いていい成績を取ろうという気持ちが足りない。計算問題はある程度できる。しかし、文章題になると急にできなくなる。こういうこととか、範囲のないテスト問題に慣れていない。こういうことがある学校の調査結果ということで発表されていた。この傾向は、今、文科省もこの点については注目されているというふうに思っている。いわゆる数値化しやすい学力と数値化しにくい学力があるから何とも言えないが、今回の学力定着度調査というのは、私は、足立区の子どもたちに不足しているのは、関心・意欲・態度とか、思考力とか表現力とか創造力、こういう点が不足しているというふうに思っている。それではどうしたら学力向上が図れるのかということについてお伺いしたい。基本構想では、公立学校より民間の人材の情報、ノウハウなどの資源を導入する。教育能力を高めたり、学校経営に直接、地域や保護者が参画するコミュニティスクール云々ということで、学校の教育力の向上をうたっているが、この内容は教育の分野にいわば市場原理の導入、競争を一層導入するというふうにしようとしていると思うが、区民委員会の意見では逆になっていて、例えば甲大学のグループの中には少人数学級を実現するという要望が出て、できる子とできない子をつくるのではなく、すべての生徒が授業を理解できるように努力する。ひたすら競争を押しつけるのではなく、学ぶことの楽しさを感じられる授業をして欲しいという要望が出ている。そういう点で言うと、少人数学級が求められているのに、区はなぜ今の段階でも少人数学級をやろうとしないのか、お伺いしたいと思う。 ○教育改革推進担当部長 基本的にこういうふうに考えている。まず一つは、できるだけ子どもたちの学力をつけるためには、きめ細かな対策をとることが基本だと考えている。それについて、現実だが、国の加配が45名足立区についている。それから、今、区独自で38名の加配をつけている。この部分を振り分けたとしても、少人数学級の部分をつくるには、とてもではないが、まだまだ足りないという状況である。それも含めて、どの時点にどういったところに少人数の指導をしていくのがいいのか、そういったことも含めて今、研究している最中である。 ○針谷委員 私は少人数学級をなぜやらないのかということを聞いているわけだから、その効果について、そちらはどう評価しているのかということを答弁いただかなければ困る。 ○教育改革推進担当部長 例えば学科によったり、学年によって、それぞれ少人数のクラスがいいという効果が出ていると評価している。 差別・選別の習熟度別教育では学力向上にならない ○針谷委員 これまでの答弁では、少人数学級よりも、習熟度授業による少人数指導にシフトしたいという答弁をしているが、今は少人数学級の方がいいという認識に変わったということか。 ○教育改革推進担当部長 言葉足らずで申し訳なかった。そうではなく、基本的に現状として、いわゆる少人数指導、それから、TT等の習熟度別、そういった形での効果があると考えている。 ○針谷委員 習熟度別授業、少人数指導の問題点というのは、欧米では既に破綻したやり方だというふうに思っている。これはドイツが典型だが、2000年にOECDが国際学力比較テストという、15歳の生徒、28カ国、日本も入っているが、これを実施した。21世紀にふさわしいレベルに到達しているかどうかという調査で、第1位となったのはフィンランドで546ポイント、これはダントツ1位ということである。日本は中位ぐらいで8位、522ポイント。ドイツは能力別、進度別指導、いわゆる習熟度別指導をやっている最も先進国だが、ここは21位、平均以下の484ポイントになり、まさに能力別指導というものの破綻が国際的な教育学会の大きな議論になったというふうに思っている。習熟度別とか能力別指導というのは、一見すると、できる子はできる子同士で、できない子はできない子同士で授業を受けたりした方が教育の効果があるのではないかという素朴なところから出ていると思う。確かに一定の計算能力とか漢字の習得など、低いレベルの学び、こういう点については、ある程度の効果があるというふうに言われているが、学校のカリキュラムは、まさに人間をつくるものだから、そう単純ではない。そういう点で言うと、これについてはかなりの問題があるというふうに私は思っている。これについては、競争か協力かというのは、教育界の中ではずっと論争されてきたが、近年については、ほとんど決着がついている。1981年にアメリカの心理学者デビットジョンソンという方が、協力による学びが競争教育よりも効果が上がる。協力的な学びの恩恵というのは、下位のグループの子どもたちも、中位のグループの生徒たち、それだけでなく、上位の生徒にもはっきり表れているというふうに言っている。1986年にはアルビンコーンという人が「競争社会を超えて」という本を出して、その中で学習だけでなく、企業における作業でも、協力の方が競争より生産性が上がるという結果が出ている。競争が大変激しい個人主義が支配するような芸術の創造とか、ジャーナリストの職域においても、競争より協力の方が、より生産性も高いし、創造性ももたらすという結果が出ている。ところが、今、答弁したように、足立区の教育委員会は、習熟度別授業と抱き合わせした少人数指導にいまだにしがみついているということで、既に43道府県は少人数学級に移行しているのは、まさに日本の流れ、こういう世界の流れを受けての方向だろうというふうに思う。私は学力低下、これまでこの基本構想に書いてあるように、足立区のやってきた教育改革をさらに加速させろ、競争の教育を加速させろとこの基本構想には書いてある。そしてそれの定着を図れというふうに言っているが、これをもしやったら、ますます学力低下という危機が、学力の格差の危機ということになってしまうのではないかというふうに私は思わざるを得ない。一連の文科省の教育改革で今起きている危機というのも、改革が教育をよくするのではなく、改革が教育の危機をつくり出しているという現状を、私はありとあらゆるところで痛感している。何と言っても、今回の基本構想の方向だと、民間の力をさらに使う、引き出すということだが、一連の教育改革で、文科省が進めた教育で何が起きているのかと言うと、塾と予備校の繁栄だ。ベネッセの恩恵もそういうところにあるのではないかと私は思っている。そこで教育長にお伺いしたい。学力低下の克服に取り組んでいるという気持ちはわかる。しかし、これが教育長のいわば身の証のために、多数の子どもたちが無意味な競争にさらされるということで本当にいいのだろうかというふうに思うが、いかがか。 ○教育長 気持ちだけわかっていただいても困るが、実際に努力しているところをわかっていただきたいというふうに思う。まず、習熟度別少人数指導は、わかる授業、一人ひとりの子どもがしっかりと授業を理解できる、そういうためにこれを導入しているわけで、競争を子どもたちの場に持ち込むという意味で導入しているわけではない。また、習熟度別授業と言っても、単純にすべて習熟度別にするということではなく、一緒にやるべき部分は一緒にやる、あるいは単元によって、これは習熟度別にやらないと授業の進行は難しいといった部分については、積極的に習熟度別を導入する。そういう形でかなり柔軟に、弾力的に現場でやっていかない限り、教育の質はなかなか上がっていかないというふうに考えている。 ○針谷委員 私は、日本の教育の最大の強みは、平等に基づく基礎教育の、小学校、中学校の段階の水準の高さにあるというふうに思っている。ところが、習熟度別授業を推進すると、現在、国際的には高い日本の教育レベルも、この教育改革によって自爆的に破壊されてしまうということが東京大学の佐藤学教授から指摘されているが、まさにそうなってしまう。それを危惧している。教育危機を克服する鍵は、少人数学級の実現を初めとする真の教育改革を進めていくべきだということを主張しておきたいと思う。PPPとかPFIにも触れたいと思ったが、時間がない。結論に入りたい。以上質問してまいったが、基本構想については、審議会の議論で我が党の提案や区民意見が取り入れられており、いいものもあると思う。しかし、区民の生活の実態、区の現状を踏まえて、目指すべき方向は、残念ながら構造改革戦略で鈴木区政が進めてきた方向でしかないと言わざるを得ない。今の日本は右肩上がりの社会構造が崩れ去った後、アメリカ型のグローバリゼーションの中で、勝ち残ることが国家戦略となる。その戦略に沿って、社会も労働も教育も再編成されつつある。人間性を押しつぶす格差を広げる競争万能社会づくりが進行している。この社会が方向感覚を失い、内部から崩壊する道を進むのか、大きな変革期にあるだろうと思う。その点は先ほど政策経営部長が、いい方法があったら教えてくれと言っていることにもあるように、また、この基本構想では否定されているようなスウェーデンの例を持ち出していることでも明らかだろうと思う。最後に一言だけ。基本理念は我が党の提案のとおり、優しさ、希望、魅力あふれる足立区を目指すべきだ、こういうことを提案して質問を終わりたいと思う。 |
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