予算特別委員会 第5日目 午後 小野実委員
日本の生活保護は世界最高水準という区の言い分は根拠なし

○小野委員 質問に立つということは何年たっても緊張するもので、私もほかの議員さんほど大物ではありませんからかなり緊張していますけれども、始めます。
 先日の本委員会で、我が党のさとう委員の質問に対して、聞かれもしない私の名前が突然出てきました。700万円の法外援護を切ったけれども、その同じページの中に生活保護費をこんなにもふやしているのだと言ったら、私が黙っていたという趣旨の発言があったのです。私は随分おかしな話だなと思って聞いていましたけれども、まず、そのことについて質問をします。
 坂田さんは議事録をお読みになりましたか。

○企画部長 今回は読んでございません。

○小野委員 私も、自分のことですから、こうなって改めて議事録を調べてみたのです。いま言ったようなことを坂田さんがおっしゃったのです。これは、平成12年3月の予算特別委員会ですけれども、議事録では、そのことで冷たさを解消できますか、このお孫さんとこのおばあちゃんのケースを切ったということを消すことができますか、そんなに威張るのだったらば、これを復活しなさいよという趣旨の発言が出ています。
 私は、改めて平成12年度の予算の内容を調べてみたのですけれども、12年度予算は生活保護扶助費が対前年度費54億円ほど増額になっています。坂田さんがおっしゃったとおりです。その内容ですけれども、新たに介護扶助が2億8,000万円入ったことと、あとは全部対象者増によるものなのです。いわば、法に基づいて、国及び自治体が当然やるべき義務的経費なのです。
 一方、この決算を見ますと、不用額が12億円、その内容は見込み減によるものと事業の削減によるものなのです。その事業の削減では、中学校卒業者に対する自立援助金と修学旅行支度金、合わせて730万円の事業が切り捨てられているということになったわけです。私は、この切り捨てを、スニーカーの例を引いて、その極端な冷たさを追求したというのが、坂田さんがおっしゃったこの一件のあらましなのです。ここは、はっきりさせておきます。
 そこで、もう一つの問題に移ります。先日の議論でも、それから一昨年の予算委員会の議論でも、日本の生活保護は全世界、例えばアメリカ、ヨーロッパと比較しても断トツの最高水準にある。だから、法外援護を切るのは当然だという趣旨の話をやっています。議事録に出ています。それで、世界でも最高水準という根拠がどこから出てきたのか。私は、生活保護費だけを抜き出して国際比較をしたデータはまだ見たことがないので、あったら具体的に教えていただきたいのですけれども、いかがですか。

○企画部長 正確な記憶にはございませんが、私がいろいろな文献を読んでいる中で、例えばアメリカの生活保護、それからヨーロッパの生活保護を比べて、日本の実質購買力の大体6割ぐらいだという話なので、日本の水準はかなり高いのだなと実感をした記憶がございます。それと同時に、現在の生活保護は、一般の給付世帯の7割ぐらいの水準なので、水準としてはかなり高い。その中に、修学旅行の援助金や中卒の自立援助金といったものが含まれるだろうと考えたわけで発言いたしました。

○小野委員 要するに、具体的なデータはないのではないですか。政府の「厚生白書」ということで11年版しかないのですけれども、これを見ても、政府の「厚生白書」でさえ、生活保護制度の国際比較のところでは、日本が世界の最高水準ということは一つも書いていないのです。ここに、生活保護のところがありますけれども、書いていないのです。ただ、ここで言っているのは、各国の制度を紹介している、それにとどめているのです。
 このように、国際比較をする場合は、多様な制度形態を持つすべての国を網羅して、共通の尺度で分類することは極めて困難だという点では多くの研究者が一致しているし、「厚生白書」にも一概に言えないと書いてあるということですが、坂田さん、どう思いますか。

○企画部長 確かに委員さんがご指摘のとおり、各国の失業保険の問題とか、アメリカのように食糧切符のような格好で渡しているところもあったり、母子家庭については5年でストップと、いろいろな制度がありますので完全に比較はできませんが、たしかある文献の中では全体的な保障のすべてをひっくるめると、日本の生活保護は世界で最高水準だと書いてあった記憶がございます。ただし、それがどこの文献かはいまはっきり覚えておりませんので、そういった意味では正確ではございません。

○小野委員 どこの文献かわかっていないようなことを使って、公式の場所で答弁をするのは控えていただ きたいと思うのです。それでは議論になりません。勝手に自分で想像してやってもいいのだし、議論をするからにはちゃんとした文献をはっきりさせてもらいたい。それがはっきりできないということは、かなり坂田さんの主観が入った表現なのだなと思われてもやむを得ないでしょう。
 それで、坂田さんがせっかくグローバルな話をやってくれましたから、私はグローバルな話は余り好きではないですけれども、やりたいと思っています。
 私は、もととなる資料収集が極めて大がかりで、緻密さにおいても研究者の間で通用するであろう国際的な報告書に基づく研究論文を紹介したいと思っているのです。これは、うずはしさんという大阪産業大学の教授の論文で「公的扶助制度の国際比較 OACD24カ国の中の日本の位置」という論文です。「海外社会保障研究」という雑誌に載っていたもので、コピーをしました。
 この論文が依拠している資料は、96年、イギリス社会保障省の報告に、「OACD諸国における公的扶助」という報告書があるのです。そして、この報告書の執筆に当たったのは、主としてヨーク大学社会政策研究所のスタッフであり、その資料収集には各国社会保障省担当者と、OACD諸国ですから日本も入っていますけれども、各国の研究担当者が協力をしているのです。このうずはし教授は、日本の研究担当者として質問に答え、必要な統計データを提供した人なのです。
 さて、うずはし教授は、この論文の中で、公的扶助制度の国際比較を規模と水準、受給資格の三つの切り口から日本の特徴と位置を明らかにしています。

 日本の生活保護基準は高くない

 まず第一に、規模ですけれども、公的扶助制度の至急総額を、その国のDDPに占める割合で出しています。日本は、ギリシャ、アイスランド、ポルトガル、トルコと並んで、最も低いグループに入っています。これを表にしてきたのですが、これなのです。ここが日本です。本当に低いですね。そして、この10年間強の変化の中では、24カ国中、日本が唯一割合が低下している国なのです。
 また、総人口に占める受給者の割合でも、低いのは日本、スイス、ポルトガル、ギリシャであります。これが、総人口に占める扶助手当の適用人員です。ちょっと小さくてわかりませんけれども、これが日本です。極端に少ない。
 次に、給付水準では、なかなか難しいと言っていましたけれども、前提条件として10家族のモデル家族を想定しています。独身何歳、家族何人、シングルペアレントあるいは家族か、いろいろと詳しく、10家族で分類して出しているのですが、各国の物価水準を反映する購買力平価を使って出しているが、日本は24カ国中平均のところに位置している。世界の最高水準ではなくて、平均のところに位置しています。日本はこれです。これは、為替レートの換算です。為替レートというのは、その国の物価水準を反映しませんから、大体研究者というのは全部購買力平価でもって換算して出すのです。トップレベル、最高水準ではないということが、ここでも明らかです。
 それから、受給資格のところです。これには、所得調査、資産調査、ワークテストの三つの資産要件を通して比較をしています。
 まず、所得調査ですが、日本は厳しい取り扱いをするグループに入っています。例えば、カナダ、フランス、フィンランド、また、アメリカは州によってみんな違いますから州によってですが、単身者ベースでいきますと、いま上げた国々は16から40%の所得控除を認めている。そして、ドイツ、ベルギーなどは40%以上の所得控除を認めています。
 次に、資産調査の問題は、申請者の家族の扶養義務を規定しているのは、ベルギー、ドイツ、日本、オーストリア、スイスの5カ国だけ、ここでも日本は厳しい国に入っています。これは小さくてちょっと見づらいのですけれども、所得の問題は何%認めているかということをABCDの4段階に分けているのです。一番厳しいのがAです。日本はAです。24カ国の中では、ポルトガル、スペイン、スウェーデンがAです。ちなみに、アメリカはCとかDです。
 それから、資産の扱いも一番厳しい。最も資産を認めないというところですけれども、これがAです。資産を認めるというのがBです。
 所得の扱いと資産の扱いの両方とも厳しくてAというのは、日本、ポルトガル、スペイン、スウェーデンだけであります。これが日本です。受給資格が物すごく厳しいということです。諸外国は、どちらかというと、所得控除も大幅に認めて、資産の所有も認めて、そういう方が一概にいって労働志向が強い、自立志向が強いというのです。それはそうですね。働いて得た分が所得になっていけば、だんだん基準をオーバーして自立をしていくわけです。だから、日本みたいに、なるべく全部認めないように、認めないようにと厳しくしていれば、こういう国々に比べたら労働意欲が生じないということは道理の問題です。
 次に、ワークテストは求職活動という意味ですけれども、求職活動を要件としているのは、ギリシャを除きますと、各国とも要件になっています。ただし、国によってかなり違いがあります。例えば、シングルペアレントに限れば、イギリスなど4カ国は子どもが16歳になるまでは事実上労働を要件とはしない。それから、ノルウェーは10歳、ルクセンブルクが6歳、オランダが5歳、オーストリア、フィンランドが3歳となっています。そういう点では、非常に厳しい条件になっている。
 それで、これは別の資料ですけれども、日本の厚生労働省の国立社会保障人口問題研究所が、93年、ILO基準に基づいて出したものの中で、このデータはドル換算で為替レートですけれども、1人当たりの給付費を購買力平価で見てみますと、日本の45.5万円に対して、アメリカは65.7万円、フランスは96.1万円などとなっていて、日本の生活保護が世界のトップレベル、最高水準なのだということはどの資料を見ても出てこないのです。もし、これがあるというのだったら、後で個人的に私に見せてもらえれば、また議論をやりたいと思っています。

 生活保護は「お恵み」から「基本的人権」へ

 ところで、この5日間、私はあそこの席に座っていましたけれども、自分の耳を疑うような話がたびたびありました。相変わらず、日本の生活保護水準は非常に高いとか、これまでの制度が救貧的なものだとか、あるいは、受給者がふえ、生活保護基準が高くて大変だとか、私はこの話を聞いていて何世紀か前にタイムスリップしたのではないのかという錯覚を覚えました。生保の受給者の増加の根源には、政治の悪さがあるのではありませんか。小泉内閣による構造改革、規制緩和によって、いままで我が党議員が指摘してきたように、不況、倒産、失業、環境破壊、社会保障の後退などなど、人々は傷つき、倒れ、生きる糧を日々奪われている。こういうときだからこそ、最後のよりどころとしての公的扶助を拡大することが政治や行政の責任、義務ではありませんか。それなのに、救貧なんていう言葉が飛び出す。
 そもそも、救貧なんていう言葉は17世紀の初頭です。イギリスのエリザベス救貧法ができたのは、17世紀の初頭ですよ。日本では、19世紀の明治初年に受給法ができました。このときに使われた言葉なのです。いずれも、国民の運動の高まりの中で、時の政府がみずからの体制を守るためにお恵みの政策として出してきたものです。これが、お恵みではなくて、基本的人権として初めて国際的に確認されたのが、20世紀に入って1948年、国連で採択された世界人権宣言です。その22条には、何人も社会の一員として社会保障を受ける権利を有するとなっている。公的扶助が、上からのお恵みでなくて、人間としての権利だということに世界的になりました。
 日本は非常にいいのです。日本では、それより2年前です。憲法が発布されて、同じく読みますと、憲法25条によって国民の権利、政府の義務と規定されたのです。これを受けて、政府の社会保障審議会は、憲法25条が持つ意味は、国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があるという有名な五十年勧告が出されたわけです。もっとも、以後、石油危機、経済危機が日本を襲う中で、新自由新改革登場してから、次から次へと社会保障の後退が始まりました。
 福祉部長は、福祉のあり方が大きく変わったから、今後、現金給付型は徹底的に削っていくのだと言いましたが、世界人権宣言も憲法25条も変わったわけではありません。鈴木区政の考え方が、政府の構造改革の流れに飛びついて福祉の切り捨てに変わっただけであります。既に、歴史的にも、破綻が明確になっている新自由主義的改革の立場から公的扶助を削るのが当然と言う人や、救貧などという何世紀も前の言葉を平気で使う幹部が生まれることこそ、全時代的な鈴木区長の政治市政のあらわれではないでしょうか。
 私は、生活保護を含めて、社会保障を見る場合の基準は、あくまで憲法、地方自治法、世界人権宣言に規定されている国民、区民の健康で文化的な生存権の保障にあると思っています。同時に、政治と行政の目的も、国民、区民の安全、生活を社会保障を含めて、一歩でも前進させることにあるはずです。私たちは、この立場から、今度の予算の修正案を提案しているのです。この修正案を取り入れてこそ、あすへの明るい期待が持てることを指摘しておきます。

 生徒の「出席停止」処分は授業を保障する観点で慎重に

次に、教育の問題に入ります。今度、出席停止処分が決まりまして、小・中学校児童生徒の出席停止措置に関する実施要綱が足立区でつくられた。前回、文教委員会で、我が党が要求した子どもの権利条約に基づく意見表明権は、この実施要綱の中でどう取り入れられましたか。

○学校職員担当課長 実施要綱第10条に、児童生徒の弁明と保護者からの意見聴取というところに取り入れてございます。

○小野委員 子どもが問題行動を起こすには、それなりの理由が存在し、その原因に対する行政側の深い分析と対応策を教訓として蓄積し、以後の指導に生かすことが必要だと思います。
 そこで、この実施要綱のどこにその仕組みがあるのでしょうか。

○学校職員担当課長 この出席停止の制度は、本人に対する懲戒という観点ではございません。学校の秩序を維持し、他の児童生徒の義務教育を受ける権利を保障するという観点から設けられた制度でございます。詳しくは、出席停止を判断する前にということで、出席停止前に行なうべき措置、学校や教育委員会が行なうべき措置、指導体制づくり、児童生徒や保護者への指導、教育委員会への報告、関係機関との連携、留意事項、出席停止の適用要件について、要綱の中で組み立てをいたしております。

○小野委員 この実施要綱は、子どもを出席停止にさせるための要綱です。しかし、出席停止にさせなればならないかどうかという具体的な事例について、なぜこの子がこういうことになったのだろうという分析と把握をするには非常にいい機会ではないのか。そのことが、その子どもを立ち直らせていく非常に大きな要因にもなるのではないかと思うのです。もちろん、問題行動を起こす子どもの原因や何かの分析については、いろいろな場面でやっていると思うのです。しかし、一番出席停止にしなければならないと思われるケースが出たときに、実施要綱の中に、この子どもがなぜこうなったのかというところを把握し、分析する非常に重要な問題が突出していると思うのです。そういう点では、この問題についても、実施要綱の中できちんと位置づけておく必要があるのではないかということをお願いしておきます。
 次に、学校配当予算で聞きます。
 学校配当予算は、平成12年度以降、毎年5%ずつ削られています。重要なのは、それまでたとえわずかでも要求してきたのが、平成12年度は要求も据え置き、13年度、14年度に至ってはみずから要求額を5%削減をしていることなのです。私は資料をいただきましたけれども、教育委員会の要求は、例えば9年度は12%増、この要求に対して6%増の予算がつけられる。10年度は、7%増に2%増がつけられる。ところが、11年度になると要求3%増になりますが、12年度は要求据え置き、13年度からは要求5%減、みずから要求を下げてしまったのです。これは、いままでどうだったのか。これについて一言お願いします。

○教育総務課長 特に、平成14年度につきましては、小学校のコンピューターの導入等、インターネットの接続、また、その他の経費の増が見込まれているので、やむを得ず減にさせていただきました。